そこには、「生乳は一滴たりとも無駄にしない」という強い想いがありました。

北海道胆振東部地震発生後も、
牛乳・乳製品を届けてくれた
「よつ葉乳業」
よつ葉乳業

「CO・OP北海道十勝牛乳」をはじめ、「北海道よつ葉バター」や「よつ葉北海道十勝プレーンヨーグルト」など、北海道産の牛乳・乳製品を届けてくれている「よつ葉乳業」。2018年9月6日に発生した北海道胆振東部地震により大きな打撃を受ける中、北海道内に工場を持つ乳業会社の中で唯一、停電後も生乳の受け入れを続けました。そこには、「酪農家が搾った生乳は一滴たりとも無駄にしたくない」というよつ葉乳業の想いがありました。

酪農家さんたちの努力を無駄に
したくない一心で取り組みました

よつ葉乳業に生乳を届けている北海道河東郡士幌町にある小野寺牧場。地震発生後の停電は自家発電で乗り切りました

よつ葉乳業に生乳を届けている北海道河東郡士幌町にある小野寺牧場。地震発生後の停電は自家発電で乗り切りました

北海道は年間の生乳生産量が全国の5割を超え、乳製品生産量に至っては9割近くを占める酪農王国です。2018年9月6日に発生した北海道胆振東部地震による大規模停電は、酪農事業に大きな打撃を与えました。震源地から遠く離れた地域では、揺れによる被害は大きくはなかったものの、北海道全域が停電になってしまったため、牛乳や乳製品の製造工場も操業を停止せざるをえないという事態に見舞われたのです。

そんな中、よつ葉乳業株式会社(以下、よつ葉乳業)は、北海道内にある4工場のうち十勝主管工場(音更町)とオホーツク北見工場(紋別市)に自家発電設備を備えていたため、停電後も工場を稼働し続けることができました。

「十勝主管工場には、平時であれば毎日、十勝管内で生産される53%、およそ1,700トンの生乳が運ばれてきます。少なくともその生乳を一滴たりとも無駄にしたくないという想いで、社員一丸となって対応しました」と話すのは、当時十勝主管工場の工場長だった川瀬博教さん。

よつ葉乳業株式会社 川瀬博教さん

よつ葉乳業株式会社 川瀬博教さん

通常、酪農家のもとで搾られた生乳は、タンクローリー車で集乳され、10℃以下に冷却されたまま衛生的に牛乳工場や乳製品工場へ運ばれます。しかし、今回の大規模停電により、自家発電設備を持っている酪農家は搾乳・冷蔵できたにもかかわらず、自家発電設備を持たない北海道内の多くの乳業工場が相次ぎ操業を停止し、生乳を受け入れられずに廃棄せざるをえないという事態に追い込まれたのです。

「発電設備を持っている酪農家は搾乳・冷却することができますが、それを受け入れてくれる工場がないという状況でした。ですから、自家発電設備を持つよつ葉乳業の工場でできる限り受け入れなければ、と思いました。通常、牛乳はオーダーにあわせて生産していますが、急遽、オーダーにはないチーズや脱脂粉乳のラインを動かして、受け入れた生乳をすべて製品にしました。長期保存が可能な製品を作っておくことができたのは良かったと思います。牛乳以外のラインがある工場だったのが幸いでした。とにかく生乳を捨てることのないよう、受け入れた生乳を最大限活用しようと努力しました」と話します。

よつ葉乳業株式会社 栗城均さん

よつ葉乳業株式会社 栗城均さん

生乳の受け入れに奮闘したひとり、栗城均さんはその時の様子をこう話します。「平常時なら15時くらいで終わるところ、夜中まで受け入れ体制を組みました。受け入れできない品質の生乳はひとつもなかったので、すべて製造に回すことができました。ただ、2日目にデータなどを管理しているシステム関係がダウンしてしまったので、検査結果を入力することができずに手書き、手渡しで確認しなければならず大変苦労しました」。
その混乱の中、よつ葉乳業では、指定団体の指示により、行き場の失った生乳も受け入れました。
「とにかく酪農家が搾った生乳は一滴たりとも無駄にしないというのが、よつ葉乳業の考え方。酪農家さんたちの努力を無駄にしたくない一心でした」と栗城さん。

もともとよつ葉乳業は、十勝の8つの農協が酪農家のためにつくった会社でした。「酪農家の努力を絶対に無駄にしない」という想いは、「北海道の酪農家の会社」としての原点です。
従業員たちも被災者という立場ではありましたが、一丸となって業務にあたりました。
「災害時であっても供給責任者、そして企業としての使命があります。酪農家、メーカー、配送業者、それぞれのセクションの人が頑張って対応した結果、『北海道十勝生産者限定牛乳』は欠品なくお届けすることができました。みんながつないだからこそ、十勝の酪農家の生乳を消費者に届けることができた。止めちゃいけないという想いはひとつでした」と栗城さんは話します。

自家発電に切り替えていたおかげで
ラインを動かし続けることができました

タンクローリー(集乳車)で運ばれてきた生乳は、工場の加工ラインに入る前に検査を行い、その後パイプを通って、専用ろ過機械、冷却機械を経て、タンクに入れられます。この工程においても電気の力が必要です。

タンクローリー(集乳車)で運ばれてきた生乳は、工場の加工ラインに入る前に検査を行い、その後パイプを通って、専用ろ過機械、冷却機械を経て、タンクに入れられます。この工程においても電気の力が必要です。

十勝主管工場では、地震が発生する前日に台風による雷注意報が発令されていたことから、偶然にも自家発電設備を稼働させていました。震源地から遠く離れていて、揺れによる被害が少なかったこともあり、通電を切らすことなく製造ラインを動かし続けることができました。

「工場は瞬間的にでも電源が落ちるとラインが止まり、そのときの原料はすべて回収して廃棄することになるんです。ですから平時から台風や雷による停電を想定して、1割程度は自家発電を使用しています。あの日はたまたま前日に台風による雷注意報が発令されていたため、すべて自家発電に切り替えていました。切り替える瞬間はラインが止まってしまうのですが、前日に切り変えていたことが幸いして、一切生乳を廃棄することがなかったのでホッとしました」と栗城さん。

また、川瀬さんも「自家発電設備があって本当によかった」と話します。

「自家発電設備は、1990年に十勝主管工場へ導入し、2015年にはオホーツク北見工場へも導入しました。よつ葉乳業は、もともと北海道十勝管内の農業協同組合などが出資してできた会社です。その経緯から見ても、酪農家が搾る生乳を停電によって廃棄することなどあってはならないという強い想いがありました」と川瀬さん。

自家発電設備を備えるためには、巨額の設備投資が必要で、定期的な保守点検費用も大きな負担になるため、導入に踏み切れない企業が多い中、よつ葉乳業では、しっかりと危機管理体制を整えていたことが功を奏しました。ただ後悔もあると川瀬さんは言います。

「道内にある4工場のうち、2工場にしか自家発電設備がなかった。釧路にある根釧工場も10月に稼働しましたが、あと2カ月早く動かせていたらという思いがあります。今回の災害で、北海道全体では 23,000トンもの生乳が行き場を失いました。よつ葉で救えたのはそのうちの4,500トンくらい。今回のことは、十勝管内で生産される約半分の生乳を受け入れている工場として、酪農家のためにも、お客様のためにも、あらためて危機管理について考える機会となりました」と川瀬さん。よつ葉乳業では、残る1工場の自家発電設備導入を含め、自然災害に備えた対策をさらに進めています。

北海道の酪農家の想いをお届けします

よつ葉乳業の商品ラインアップ

「よつ葉乳業」が誕生したのは、1967年。そのはじまりは、十勝管内の8つの農協が力を合わせてつくった農民工場でした。それから半世紀、「酪農家とお客様を結ぶ架け橋でありたい」と、北海道の酪農家が搾乳した良質な生乳を原料に、高品質な牛乳や乳製品をつくり続けています。その製品を組合員さんにお届けするのがコープデリの役目。「産地と組合員さんをつなぐ架け橋」として、これからも組合員さんの食卓においしい牛乳・乳製品をお届けします。